殺法(柔術)について

関口流柔術 富田派 誠武館は殺法として、約400年の系譜を有する古流柔術を伝承しています。

現在、フルコンタクト空手や、ボクシング、柔道、総合格闘技などの武道が主流になっている中、一部では古武術に興味を持つ方も一定数おられると、存じております。
ですが現在、名前は古武術を称していますが、その身体の使い方は現在武道に由来している流派も多数見られます。
当時の武士が用いた本当の意味での武術を伝承している道場は、そう多くありません。

一例に「剛よく柔を断つ」、「柔よく剛を制す」という言葉があります。
「剛よく柔を断つ」とは、力や体格差は技に勝るという考え方で、「柔よく剛を制す」とは、技が力や体格差に勝るという考え方です。
では、柔術や古武術は前者でしょうか、それとも後者でしょうか、そのどちらもを融合するものなのでしょうか。


剛よく柔を断つ武道

賛否両論ありますが、「剛よく柔を断つ」のは現代的・スポーツ的な考え方です。
一例に、現代武道の多くは、体格や性別、年齢層等によって階級分けがされています。
つまり、あまりにも体格差があり、力が異なる者同士の試合は、戦いとして成り立ち難いと考えているからです。

この考え方に基づくと、同じ才能を持ち、同じ努力、同じ年月をかけて鍛錬をした者同士であっても、体格が良く、筋力が強く、男性で、ご年配の方よりも若者、の方が一般的に強者であると、解されます。
しかし、考えてみて下さい。この理論が極まってしまうと、体格が小さい日本人は体格に優れた西洋人に勝てず、女性は男性に勝てず、成人前後の武道家が一番強いと、結論付けられてしまいます。
重量級の格闘家と軽量級の格闘家が戦った場合、技の鍛錬度よりも体格差が有利となってしまいます。
「剛よく柔を断つ」の価値観に基づけば、力や体格差は、技に勝ってしまうのです。

もし、武士の扱う武術が体格のすぐれた者しか勝てないものであったなら、我が国の武士・足軽は、高身長で体格が良い者のみが生き残り、体格の劣る者は淘汰されて行ったでしょう。
ですが、そんな事はありませんよね。体格が良く、筋力が強く、男性で、ご年配の方よりも若者、だけが常勝出来るほど、武士や侍の世界は甘い世界では無かったのですから。

柔よく剛を制す武術
「剛よく柔を断つ」のは現代的・スポーツ的な考え方ならば、「柔よく剛を制す」はどのような考え方をするのでしょうか。

当時の武士・足軽は、力や体格差、年齢層の垣根を超えて、合戦の場で殺し合いをしていました。もちろん、力や体格差は優れている方が有利です。
ですが、力や体格差が劣っているからとて、そこで諦めて負けを認めたら、当時の合戦では討ち死にへ直結します。
我が国古来の武術は、体格差に寄らずいかに相手を倒せるか、重い甲冑を着ていかに素早く動けるか、 1対多人数、素手対刃物等、不利な条件の中でいかにして相手を倒すかを、研鑽してきました。
つまり、体格差があり、力が異なる者同士の戦いでも、それを覆し勝利する方法を、研鑽し続けてきたのです。

この考え方に基づくと、体格に優れていなくても、筋力が強くいなくても、女性で、年齢が全盛期の体力から衰えていても、長い年月を経て鍛錬した者の方が、強者であると解されます。
体格が小さい日本人であっても、体格に優れた西洋人に討ち勝ち、女性でも男性に負けず、年齢の高低に関わりないと、結論付けられます。

なお、「柔よく剛を制す」において、関節技・投げ技=「柔」であり、打撃技=「剛」というイメージを持たれている方もいます。
そうであるのなら、体格が優れた者が、その強靭な膂力によって関節技・投げ技を行った場合、体格の劣る者では抵抗できません。
関節技・投げ技=「柔」、打撃技=「剛」ではありません。
あくまで視点は、身体の使い方が「柔」なのか「剛」なのか、です。

関口流柔術 誠武館 富田派 足立道場は剛柔一体
「剛よく柔を断つ」、「柔よく剛を制す」ことについて今まで述べてきました。

ここまで読まれた方は、「剛」より「柔」が優れているのでは、とお考えの方もいるかと存じますが、そう決めつけるのも危険です。
同じ才能を持ち、同じ努力、同じ年月をかけて鍛錬をした者同士であっても、やはり体格に優れた方が有利です。

ゆえに当時の武士は、火事場の糞力的な身体の使い方を意識的に出せる身体操法・身体鍛錬法も学びました。
体格や筋力が劣ろうとも、体格が優れた者よりも強い力を出せるよう、特殊な鍛錬を続けて来ました。
柔と剛、どちらも欠けては駄目なのです。

関口流柔術 富田派 誠武館 足立道場で重視するのは、剛よく柔を断ち、柔よく剛を制す、剛柔一体の身体操法等です。
古武術は形だけの伝統芸能、過去の産物ではありません。
当流派では本当の意味での「古武術」を、約400年もの期間にわたって、継承してきたのです。

当流派では、受けという概念はありません。
攻撃をかわすと同時に相手に打撃・逆技を極め、投げます。
ただ単に投げるだけでなく、相手の関節・骨を脱臼・骨折・粉砕させる投げ技です。
当流派は、戦場で生きるか死ぬか、命をかけて戦うことを基礎としており、即座に相手を無力化しないと、自身が討ち死にしてしまうと、考えているからです。

殺法の内容は拳法、当て身、組み手、投げ、体捌き、棒術、古流の身体操作、身体鍛錬法などであり、師範直々に指導しています。
もし、当道場に興味を抱かれた方は、門下生募集のページから、お問合せください。

誠武館 道場訓
一・武術の秘密漏らす間敷事
一・師範兄弟子の教えに従う事
一・自流他流によらず一切批判論評せぬ事
一・他流試合は一切これを禁ずる事
一・己の油断から稽古中に怪我等でたとえ一命を失うとも一切意義申さぬ事
一・稽古着は制定着を着用し、清潔にする事
一・授かった免状は大切にし額に入れて適当な場所に掲げる事
一・武道修行は生涯の道と自覚を持ち、常に門人の誇りを失う間敷事